山口修司の中辛鉄道コラム”ぶった斬り!!”

新進気鋭の交通評論家が、日常の鉄道ニュースに対し、独自の視点で鋭く切り込みます。

”揺れる鉄路”、「窮地に追い込まれた」というオオカミ少年の向こう側

鉄道ジャーナルの今月号に、「窮地に追い込まれたJR北海道」という記事が載っている。著者は、我が国の交通政策研究の第一人者でお馴染み、佐藤信之氏である。JR北があと数年のうちに資金ショートするというのは、ほとんどオオカミ少年のようであり、関係各所に相応の危機感は見られない。全道の交通体系をどう構想し、その中で鉄道をどのように位置づけるのか、という議論は微塵も見えてこない。下手をすると、稚内や北見や根室から、鉄道が消えるのである。危機感が足りなさすぎる。今日の北海道新聞の記事がこれを裏付ける。

www.hokkaido-np.co.jp

鉄道建設・運輸施設整備支援機構の出した答えは、「支援機構の特例業務勘定の余剰資金と将来の剰余金」とかいう、フローの赤字をストックの切り崩しで賄う、会計上最悪の方法である。恒久的な財源がないことの裏返しだろう。この事実を以ってしても、状況は非常に深刻であることが伺える。 

JR北の経営が脆弱なのは、設備を見れば一目瞭然。ほとんどが非電化の単線であり、保安設備も旧式のものである。それが全道に各方に遥々と伸びている。自動運転の話まで浮上しているJR東の山手線とは、比べようもない。

国鉄改革が失敗だったという声もあるようだが、本州3社については成功したと言って良い(JR西の福知山線脱線事故は、むしろ民営化が不十分だったからだと指摘したのは、猪瀬直樹である)。JR九州も、慎重に今後の動向を見ていく必要があるが、先行きは決して暗くはない。JR貨物に関しても、モーダルシフトの推進によって、民営化当初の予想を裏切る堅調ぶりを見せている。JR四国は、その事業規模は大手私鉄よりも小さい。広大な路線キロを持つJR北とは、問題の様相が異なる。いずれにしても、ある重大な政策決定に完全性を求めるのは、知識人の良くない思考癖である(道路公団民営化の議場で、途中退席してしまったのが、国鉄改革の中心人物である、松田昌士氏(JR東・元会長)であるのは、何とも皮肉である)。

佐藤氏は、特急の時速140キロ運転を実現することで、高速バスに対して優位性を築くことを提案している。しかしながら、JR北は、路盤が脆弱な部分が多い。速度制限が外れる区間の方が短いだろう。それを物理的に克服するには、高速化事業を立ち上げて、資金を集める必要がある。それよりは、曲線通過速度の向上など、車両側でできる施策の方が効果的である。その意味でも、かつて運輸事故が頻発した時に、新型特急車両の開発をやめてしまったのは、大きな失策であった。以来、JR北の経営は、後ろ向きなものばかりになってしまった。安全対策と新型車両の開発は、物理的には相反するものではないはずだが、それを許す空気ではなかったのは、不幸であった。

 

佐藤氏は、北海道の鉄道経営形態は、公営でも民営でもない、両者の中間に答えはあると言う。私も同感だが、一歩間違えれば、第三セクターという悪夢の再来になり、責任の所在は明確にする必要がある。具体的には、道州制の導入に基づいた北海道が運営責任を持つのが妥当だろう。

(書き下ろし)

JR西「恐怖の研修」=”体質の象徴”、ってホント?


久々に、頭に血が上るほど腹が立った。JR西に対してではありません。このコラムの筆者に対してです。くだんの研修が有効かどうかという議論は、さしあたり、横に置いてみたい。

本コラムが決定的に説得力を持たないのは、タイトルの「恐怖の研修」と「変わらぬ体質」とが、全く理路がつかないからです。福知山線脱線事故と関連づけているのも、普通に読んだら、意味不明。
実は、”体質”とか、”組織文化”と言った言葉の学問的定義は、ありません。基本的に、〈体質〉を振りかざして批判する輩の言動には、眉に唾を付けて聞いた方がいい。そんなもんがあるなら、一応当該分野の学識経験者である私にも、教えて欲しいですわ。人の集合でしかない”組織”について、組織の構成員とは別に、新たに〈体質〉といった人間性が宿るという考えは、不適切であるばかりでなく、危険ですらあります。大東亜戦争を引き合いに出すまででもありません。

それでは説明がつかないから、結局、国鉄改革三人組の一人であった、井手正敬氏の人格のせいにする。国鉄改革を勉強すれば、彼の発言の真意が読めるのですが、それをしようとしないのは、著者の怠慢そのものですよ。井手氏が改革三人組であったことが諸悪の根源なら、井手氏と似たようなマインドセットをトップが持ったJR東やJR東海でも、それこそ「同じようなことが起きる」はずです。起きてないですよね。説明にならないのです。

それから、筆者の松本さん、じゃあ、お聞きしますけど、「安全優先」の確立度合いって、どうやって測定・評価するんですか?それは、完璧な〈安全優先〉の度合いが存在し、その下では、全く事故やトラブルが起きないという、”絶対の安全”が存在するという、科学的にありえない発想です。つまり、本記事コメント欄より引用させて戴ければ、「安全は、どこかのすごーい誰かが考えて、常に完璧で提供してくれなきゃ、嫌だ、とかいう幼稚な超絶甘ったれ思考停止意識高い系の浅はかな思いつきと同じレベル」ですよ。組織は、所詮人間が作ったシステムなので、そんなものは存在しないのです。まさか、JR東や大手私鉄と比べているんじゃあ、ないでしょうね。JR東も大手私鉄も、毎日のようにトラブルが起きていますけれど。

「安全最優先の組織に生まれ変わった」って、何を以って、どの時点で評価するんでしょうか。以上の議論を踏まえれば、そんな瞬間は、未来永劫訪れないことが、ご理解頂けると思います。トラブルを絶対に起こさない組織なんて、存在しないのですから。リスクマネジメントの基本中の基本、大前提です。こんな初歩的なことも分かろうともしない人が、”組織文化”とか”体質”とか”安全最優先”とか、言わないで欲しいです。ご本人は正義のつもりなのでしょうが…。

 

(書き下ろし)

のぞみ人身事故についての暫定見解

産経WEST*1によれば、奇しくも、
>JR西の内規では、走行中に鳥など小動物と衝突した場合はただちに停止させる必要はないが、運転指令への報告は必要と定められている。

一方、読売*2によれば、「駅員が血痕認識…鳥と衝突と思った」という。

つまり、単に、運転士が報告義務を怠った。それ以上でもそれ以下でもない。私含め一般人は、運転士より運行指令の方が立場が上だと考えますが、組織力学的には逆なのが実態なのかも知れません。だから、「運転に支障はないから、指令に申告を入れなくていいだろう」という発想になる。もしそうなら、運転士は安部誠治先生のいう、”組織の末端”ではない。浸透も何もないわけです。台車亀裂の時と同じですが、”安全意識”うんぬんの問題ではなく、組織マネジメントの問題だと私は診ています。

*1 https://www.sankei.com/we…/news/180615/wst1806150064-n1.html
*2 http://www.yomiuri.co.jp/national/20180615-OYT1T50086.html

 

(本投稿は、私のフェイスブック投稿より転載)

いい加減にしてほしい、新幹線誘致合戦絵図

toyokeizai.net

執筆者は、鉄道ファンにはお馴染みの、大坂直樹さん。


建設費がいくらフローではなくストックだとしても、1路線あたり数千億円かかるとなれば、それを違う用途に回すという検討もすべき。なぜなら、
建設費の2/3は国民全体の税金、
残り1/3は、地元の自治体の税金、
経営分離された長距離の在来線は、地元自治体連合で支えなければならない、
新幹線の止まらない駅は、特急停車駅だろうとローカル駅に転落、
新幹線の止まる駅も、新幹線の速達効果で、街の賑わいは大都市圏に吸い取られる、


>つまり新幹線とミニ新幹線とでは、インフラ構造がまるで違うのだ。

その通り。元々は単線の需要しかないのに、さらに高規格の複線を増設するというのが、そもそも非合理なんですよ。たかだか数十分の時間短縮以外は、ほとんどデメリットばかりでメリットはとても少ない。即ち、
輸送障害を減らしたいなら、在来線を立体交差にすればいいだけ。
冬季の雪が心配なら、その区間だけリノベーションすればいいだけ。
在来線の速度向上が望めないなら、航空機の便数を増やせば良いだけ。これの方が手っ取り早いし、地元への悪影響は小さい。
いずれも、文字通り桁違いに費用は小さくなる。
半世紀前の高度成長期の国土計画をそのまま延長するなんて、行政の在り方として根本的に間違っているし、新興国への説明が、成熟社会の日本に転用できるわけがない。

「フル規格化の議論は今をおいてない。この機を逃すと、次にいつチャンスが来るかわからない」
ということは、世代交代すれば地方の意見も変わってくるだろうから、静観していれば良い。
結論。
「まだ(着工)できていない新幹線は全部不要」

ってコメントした人が袋叩きに遭っている。私にしたら、一周回って至極真っ当な感覚だと思うのですが、この記事を読んでいる人は、コアな鉄道ファンばかりなのでしょうか。

より精緻な議論は、手前味噌ですが、こちらを見てください。

 

のぞみ台車亀裂事故についての時系列見解

2017年12月21日

diamond.jp

違うと思います。東海道新幹線は、”超過密ダイヤ”なんかではありませんが(過密だったら、時速300キロ弱なんて無理)、昼間でものぞみは1時間に10本以上走っているので、1本くらい間引いても、どうってことはない。問題の根底は、新大阪でJR西からJR東海に乗務員が引き継ぐ際に、「問題ない」と引き継いでしまったことにあると見ます。つまり、運行現場でも「異常あり」という認識が共有されなかった。この蛸壺的な組織構造が問題の核心ではないでしょうか。従って、運行指令が現場の声を黙殺したとかなんかとかいうのではない。JRの企業風土がどうのという話ではないでしょう。そもそも、運行指令は走行している列車を差配するのが役割であって、技術的な判断をする立場にはないはずですが。

 

【昨日の続き】(2017年12月22日
実は、検査と言っても、いくつかのフェーズがある。具体的には、毎日行う1次検査(”仕業検査”)、週単位で行う2次検査(”交番検査”)、月単位で行う3次検査(”全般検査”)に分けられる。車両を解体し、全ての部品をチェックするのは3次検査である。通常の毎日の検査(1次検査)は、部分検査しかしない。1次検査で全てを検査するわけでは、ないのである。こうすることで、第一種の過誤が過大にならないようにしているのである。

統計学的には、誤りといっても、”あわて者の誤まり”(第一種の過誤)と”ぼんやり者の誤まり”(第二種の過誤)がある。両方をゼロに近けることはできないことが、数学的に証明されている。この両方が適切な範囲に落とし込まれるように、検査項目の設計をする。今回のインシデントは、現状の1次検査は範囲が狭すぎる(第二種の過誤が、大き過ぎる)ことをあぶりだしたのです。これは、科学的な妥当性の追求であって、安全最優先の意識が高い/低いといった問題ではないのですよ。

www.nikkei.com

 

【その2】(2017年12月23日

>トラブルの原因を調べている運輸安全委員会は、今回の亀裂は走行中に突発的に生じたものでなく、過去から存在した細かい傷が走行で広がったとの見方を示す。

2次検査(交番検査)の範囲を広めようという動きですね。トラブルの予兆を捉えるには、1次検査では無理です。妥当な決断だと思います。

www.nikkei.com

 

【その3】(2017年12月25日
絵に描いたような、スイスチーズモデルのインシデントといったところか。

>今回のトラブルでは、JR西日本の保守担当者と指令員とのコミュニケーションの不備が明るみに出たが、はたしてJR西日本JR東海のコミュニケーションは適切に行われていたのだろうか。
この観点こそ、今回のインシデントの本質と見る。時系列でどこで誰に何が起きていたのか、丁寧に再現することが求められる。「コミュニケーションの問題」と言うだけでは、今回の問題解明にはならない。”安全最優先の企業文化ガー”などとしたり顔でのたまう輩は、邪魔だから引っ込んでろ。

toyokeizai.net

 

【その4】(2017年12月27日
当該技術インシデントについて、まだ何も情報が出ていないのにも関わらず、推測で記事を書くならまだしも、あろうことか社説で抜き出し合戦を繰り広げているとは。。百害あって一利なしの新聞社の自己満足を賞賛するとは、あまりに技術感覚に乏しく、科学技術に対する敬意が全く見られない。独善的な視点の特集記事に、今回も憤りを覚える。

president.jp

 

【その5】(2017年12月28日

ようやく、何が起こっていたか、判り始めて来た。

>指令員は隣にいる上司の問い合わせに応じるため受話器を耳から離し、
>この提案を聞いていなかったという。
ちょっとお粗末すぎる話なので、正直、状況をそのまま報告しているとは思えない。続報を待ちたい。

>指令員は「運転に支障があるなら保守担当が明確に伝えてくれる」、
>保守担当は「指令員がどこで点検するのかを調整してくれている」と思い込んでいたという。
これでは、”安全文化が未成熟”と言われても仕方がない。お互いに役割を押し付け合っていたからだ(逆に言うと、昨日以前の”安全文化”についての議論がいかに根拠のないものだったか、わかろうものである)。

www.nikkei.com

 

 

【その6】(2017年12月28日
>今回は小倉駅発車時(運転開始の約20分後)から、
>走行中の車内で異臭や異音が何度か報告されたようだが、
>このような報告は日常茶飯事で、
>そこから重大問題を発見して適切に対処するのは簡単ではない。
>マスコミが結果を見てから関係者の対応を叩くのは、
>誤解を恐れず言わせていただければ“後出しジャンケン”である。

以前にも書いた、検査における”第一種の過誤 ”と”第二種の過誤”をどう按配するかという課題が、この記事にも取り上げられている。

一方、「亀裂を見たことがない技術者が増えている」という状況は、かなり深刻な問題である。元凶は、国鉄分割民営化後に新卒採用をしばらく止めたことなので(これ自体は、仕方がない)、非言語的技術伝承の仕方をより真剣に考えないといけない。

toyokeizai.net

 

 

【その8】(2018年1月9日
安部誠治関西大教授「異常があったら運行を止めるという考え方が現場まで浸透していなかった。組織として問題がある」

どういう文脈でこのような見立てをしたのか判断材料が記事にないので、評価のしようがない。 

 

www.nikkei.com

鉄道再改革待ったなし、30年間の軌跡と展望を総括せよ

ちょうど30年前の4月1日に、年間2兆円の赤字体質だった旧国鉄が分割民営化され、JRグループが誕生した。30年の間に、JR本州3社は完全民営化を果たした。一方、“三島会社”のうち、JR九州は株式上場にこぎつけたが、JR北海道JR四国は厳しい経営下にあり、特にJR北海道は、このままではあと3年で資金ショートになるという、極めて厳しい経営環境下にある。

 

私は、分割民営化が誤りだったとは考えていない。分割民営化の妥当性は、本州3社の採った戦略の違いを見るとよい。JR東日本は、特急電車の充実と新幹線の利便向上いう戦略を採り、鉄道需要の掘り起こしに成功した。JR東海は、売り上げの9割を担う東海道新幹線の速度向上に専念し、“のぞみ”を中心とした利用客の増加を今日まで続けることに成功した。一方、JR西日本は、関西圏在来線の速達性向上により、競合私鉄との競争に勝ち、乗客数の増加に成功した。これらの地域間競争により、本州3社については、赤字体質からの脱却どころか、完全民営化まで成し遂げることができた。これは、この“粒の”大きさでの“分割”民営化が適切であったことを示しており、国鉄改革は一定の成功をしたと言って良い。

 

一方、JR北海道に目を向けると、約半数の路線が存続の危機にある。全ての路線を維持すべきとは思わないが、北海道の気候を考慮すると、“幹線”(“〜〜本線”)の存続は必要だと考える。鉄道は、大雪でも機能できる唯一の交通モジュールだからだ。幹線が廃止されれば、大雪の季節に、北海道民は移動の権利という基本権を失う。私は、JR北海道は列車の運行に専念し、インフラ維持は国・北海道が負担するという形での公営(いわゆる、“上下分離”)にするべきだと考えている。JR東日本に強引に合併させるなど、絶対にやってはならない。この国は社会主義国ではないからだ。これは、JR四国についても同様である。

 

今後を考える際には、なぜ、ここまで利用者が激減したのかに目を向ける必要がある。少子高齢化や地方過疎化、IT革命による交通需要そのものの減少などもあるが、JR北海道JR四国に関しては、高速道路網整備の影響が大きい。国の役割・責任を追究する事も必要だが、地方でもどんどん自動車専用道路を作っている。これではクルマに利用が流れるのは必然である。そこで“鉄路活性化”を叫ぶのは、言っていることとやっていることが一致しない。即ち、国はJR北海道・四国の管理者・株主でありながら、同時にこの二社の首を真綿で絞めることを続けてきたのである。今後は、鉄道・車・航空機等で整合性の取れた一貫した交通政策が必要である。

愚かなる四半世紀来の笑止千万な我田引鉄政策決定

整備新幹線”である北陸新幹線の未着工区間について、その経由ルートが与党内で正式決定した。

”新幹線”とは何か。利用客の多い”幹線”に代わり、より速く大量に輸送することを目的とする交通機関のことである。建設基準は”速いこと”、そして利用者の負担する運賃は当然のことながら、より”安いこと”。これのみである。したがって、建設ルートは、拠点都市間を最短で結ぶものが望ましい。ここでいう拠点都市とは、現行の在来線特急が停車する京都のみである。

続きを読む