山口修司の中辛鉄道コラム

新進気鋭の交通評論家が、日常の鉄道ニュースに対し、独自の視点で鋭く切り込みます。

京急脱線踏切事故について、現時点で言わなければならないこと

以降、随時追記します。

【速報】横浜シーサイドライン自動運転再開(8/31〜)

無人運転再開ではないです。順調にいけば9/6に、無人運転を再開できると、コメントあり。

#事故原因は、やっぱりハード(ケーブルの断線)とソフト(フェールセーフになってなかった)両方の問題だった。

逆走防止処置を全車両に施した。また、終端駅に非常停止ボタンを設置した。
運転本数の回復(増発)をする。

 

ー質疑応答(抜粋)ー
改造工事の安全確認を行い、年内には、運行本数を100%に戻したい。
自動運転に対する不安感・不信感を払拭するために、各方面と調整したため、時間がかかった。
被害者(負傷者)には、最終的には示談にできるようにする。
なぜ断線したかは、まだ国交省が調査中。

 

以上、たまたまNHKのサイトを見ていたら、会見中継を見た次第。
#どーでもいいけど、せっかくライブ中継しているんだから、記者配布資料を映せよ。
(速記に誤りがあれば、予告なく訂正します)

14年目の4.25に寄せて

お粗末なレポートである。

「安全最優先の列車運行において、事故は本来、絶対にあってはならないものだ」とは、”絶対の安全”を要求しているように読める。そんなものは、人間活動システムには存在しない。あくまで理念であり、”人災”だからと言って、現実に実現できるものではない。

 

福知山線脱線事故に関して、いわゆる”日勤教育”を持ち出しているが、事故後のお粗末なマスコミ報道の域を一歩も出ていない。著者本人が言っているではないか。「運転士が死亡している以上、日勤教育が事故原因とされる「速度超過」の引き金だったかどうかは証明できない」。14年間、何を取材していたのだ?評価は分かれる著作だとは思うが、松本創氏の『軌道 福知山線脱線事故JR西日本を変えた闘い』は、一読に値する。

 

信楽高原鉄道列車衝突事故に関しては、これは刑事訴訟で検察側の敗北で終わっている。その後、泥沼の民事訴訟になったことは周知の通り。訴訟のテーブルで批判できないからといって、半ば感情論でアバウトにJR西を批判するのは、在阪メディアが”平成”の間、犯してきた愚である。それは、平成で終わりにして欲しい。

 

新幹線の事件に関しては、これはテロである。改札でメタルチェックをすべきという意見もあるが、では、他の化学テロなどはどう防ぐのかという話になってしまう。危機管理的には、全く別の領域であり、福知山線脱線事故と比する話ではない。

 

日比谷線中目黒駅脱線事故に至っては、これは組織事故ではなく、技術事故であり、その原因も極めて特定困難なものである。わかったことは、車輪にかかる応力(輪重)のバランスが、左右の車輪で取れているように保全しないといけないということであった。人災ではない。

 

本文中、何度か「専門家」という言葉を持ち出しているが、鉄道事故の専門家はそう多くはいない。実名を出して欲しい。そうでなければ、反証もできない。どのくらい「列車事故を取材した」のか知らないが、お粗末な記事と言わざるを得ない。

Newspickへの投稿記事

 

”揺れる鉄路”、「窮地に追い込まれた」というオオカミ少年の向こう側

鉄道ジャーナルの今月号に、「窮地に追い込まれたJR北海道」という記事が載っている。著者は、我が国の交通政策研究の第一人者でお馴染み、佐藤信之氏である。JR北があと数年のうちに資金ショートするというのは、ほとんどオオカミ少年のようであり、関係各所に相応の危機感は見られない。全道の交通体系をどう構想し、その中で鉄道をどのように位置づけるのか、という議論は微塵も見えてこない。下手をすると、稚内や北見や根室から、鉄道が消えるのである。危機感が足りなさすぎる。今日の北海道新聞の記事がこれを裏付ける。

www.hokkaido-np.co.jp

鉄道建設・運輸施設整備支援機構の出した答えは、「支援機構の特例業務勘定の余剰資金と将来の剰余金」とかいう、フローの赤字をストックの切り崩しで賄う、会計上最悪の方法である。恒久的な財源がないことの裏返しだろう。この事実を以ってしても、状況は非常に深刻であることが伺える。 

JR北の経営が脆弱なのは、設備を見れば一目瞭然。ほとんどが非電化の単線であり、保安設備も旧式のものである。それが全道に各方に遥々と伸びている。自動運転の話まで浮上しているJR東の山手線とは、比べようもない。

国鉄改革が失敗だったという声もあるようだが、本州3社については成功したと言って良い(JR西の福知山線脱線事故は、むしろ民営化が不十分だったからだと指摘したのは、猪瀬直樹である)。JR九州も、慎重に今後の動向を見ていく必要があるが、先行きは決して暗くはない。JR貨物に関しても、モーダルシフトの推進によって、民営化当初の予想を裏切る堅調ぶりを見せている。JR四国は、その事業規模は大手私鉄よりも小さい。広大な路線キロを持つJR北とは、問題の様相が異なる。いずれにしても、ある重大な政策決定に完全性を求めるのは、知識人の良くない思考癖である(道路公団民営化の議場で、途中退席してしまったのが、国鉄改革の中心人物である、松田昌士氏(JR東・元会長)であるのは、何とも皮肉である)。

佐藤氏は、特急の時速140キロ運転を実現することで、高速バスに対して優位性を築くことを提案している。しかしながら、JR北は、路盤が脆弱な部分が多い。速度制限が外れる区間の方が短いだろう。それを物理的に克服するには、高速化事業を立ち上げて、資金を集める必要がある。それよりは、曲線通過速度の向上など、車両側でできる施策の方が効果的である。その意味でも、かつて運輸事故が頻発した時に、新型特急車両の開発をやめてしまったのは、大きな失策であった。以来、JR北の経営は、後ろ向きなものばかりになってしまった。安全対策と新型車両の開発は、物理的には相反するものではないはずだが、それを許す空気ではなかったのは、不幸であった。

 

佐藤氏は、北海道の鉄道経営形態は、公営でも民営でもない、両者の中間に答えはあると言う。私も同感だが、一歩間違えれば、第三セクターという悪夢の再来になり、責任の所在は明確にする必要がある。具体的には、道州制の導入に基づいた北海道が運営責任を持つのが妥当だろう。

(書き下ろし)

JR西「恐怖の研修」=”体質の象徴”、ってホント?


久々に、頭に血が上るほど腹が立った。JR西に対してではありません。このコラムの筆者に対してです。くだんの研修が有効かどうかという議論は、さしあたり、横に置いてみたい。

本コラムが決定的に説得力を持たないのは、タイトルの「恐怖の研修」と「変わらぬ体質」とが、全く理路がつかないからです。福知山線脱線事故と関連づけているのも、普通に読んだら、意味不明。
実は、”体質”とか、”組織文化”と言った言葉の学問的定義は、ありません。基本的に、〈体質〉を振りかざして批判する輩の言動には、眉に唾を付けて聞いた方がいい。そんなもんがあるなら、一応当該分野の学識経験者である私にも、教えて欲しいですわ。人の集合でしかない”組織”について、組織の構成員とは別に、新たに〈体質〉といった人間性が宿るという考えは、不適切であるばかりでなく、危険ですらあります。大東亜戦争を引き合いに出すまででもありません。

それでは説明がつかないから、結局、国鉄改革三人組の一人であった、井手正敬氏の人格のせいにする。国鉄改革を勉強すれば、彼の発言の真意が読めるのですが、それをしようとしないのは、著者の怠慢そのものですよ。井手氏が改革三人組であったことが諸悪の根源なら、井手氏と似たようなマインドセットをトップが持ったJR東やJR東海でも、それこそ「同じようなことが起きる」はずです。起きてないですよね。説明にならないのです。

それから、筆者の松本さん、じゃあ、お聞きしますけど、「安全優先」の確立度合いって、どうやって測定・評価するんですか?それは、完璧な〈安全優先〉の度合いが存在し、その下では、全く事故やトラブルが起きないという、”絶対の安全”が存在するという、科学的にありえない発想です。つまり、本記事コメント欄より引用させて戴ければ、「安全は、どこかのすごーい誰かが考えて、常に完璧で提供してくれなきゃ、嫌だ、とかいう幼稚な超絶甘ったれ思考停止意識高い系の浅はかな思いつきと同じレベル」ですよ。組織は、所詮人間が作ったシステムなので、そんなものは存在しないのです。まさか、JR東や大手私鉄と比べているんじゃあ、ないでしょうね。JR東も大手私鉄も、毎日のようにトラブルが起きていますけれど。

「安全最優先の組織に生まれ変わった」って、何を以って、どの時点で評価するんでしょうか。以上の議論を踏まえれば、そんな瞬間は、未来永劫訪れないことが、ご理解頂けると思います。トラブルを絶対に起こさない組織なんて、存在しないのですから。リスクマネジメントの基本中の基本、大前提です。こんな初歩的なことも分かろうともしない人が、”組織文化”とか”体質”とか”安全最優先”とか、言わないで欲しいです。ご本人は正義のつもりなのでしょうが…。

 

(書き下ろし)

のぞみ人身事故についての暫定見解

産経WEST*1によれば、奇しくも、
>JR西の内規では、走行中に鳥など小動物と衝突した場合はただちに停止させる必要はないが、運転指令への報告は必要と定められている。

一方、読売*2によれば、「駅員が血痕認識…鳥と衝突と思った」という。

つまり、単に、運転士が報告義務を怠った。それ以上でもそれ以下でもない。私含め一般人は、運転士より運行指令の方が立場が上だと考えますが、組織力学的には逆なのが実態なのかも知れません。だから、「運転に支障はないから、指令に申告を入れなくていいだろう」という発想になる。もしそうなら、運転士は安部誠治先生のいう、”組織の末端”ではない。浸透も何もないわけです。台車亀裂の時と同じですが、”安全意識”うんぬんの問題ではなく、組織マネジメントの問題だと私は診ています。

*1 https://www.sankei.com/we…/news/180615/wst1806150064-n1.html
*2 http://www.yomiuri.co.jp/national/20180615-OYT1T50086.html

 

(本投稿は、私のフェイスブック投稿より転載)

いい加減にしてほしい、新幹線誘致合戦絵図

toyokeizai.net

執筆者は、鉄道ファンにはお馴染みの、大坂直樹さん。


建設費がいくらフローではなくストックだとしても、1路線あたり数千億円かかるとなれば、それを違う用途に回すという検討もすべき。なぜなら、
建設費の2/3は国民全体の税金、
残り1/3は、地元の自治体の税金、
経営分離された長距離の在来線は、地元自治体連合で支えなければならない、
新幹線の止まらない駅は、特急停車駅だろうとローカル駅に転落、
新幹線の止まる駅も、新幹線の速達効果で、街の賑わいは大都市圏に吸い取られる、


>つまり新幹線とミニ新幹線とでは、インフラ構造がまるで違うのだ。

その通り。元々は単線の需要しかないのに、さらに高規格の複線を増設するというのが、そもそも非合理なんですよ。たかだか数十分の時間短縮以外は、ほとんどデメリットばかりでメリットはとても少ない。即ち、
輸送障害を減らしたいなら、在来線を立体交差にすればいいだけ。
冬季の雪が心配なら、その区間だけリノベーションすればいいだけ。
在来線の速度向上が望めないなら、航空機の便数を増やせば良いだけ。これの方が手っ取り早いし、地元への悪影響は小さい。
いずれも、文字通り桁違いに費用は小さくなる。
半世紀前の高度成長期の国土計画をそのまま延長するなんて、行政の在り方として根本的に間違っているし、新興国への説明が、成熟社会の日本に転用できるわけがない。

「フル規格化の議論は今をおいてない。この機を逃すと、次にいつチャンスが来るかわからない」
ということは、世代交代すれば地方の意見も変わってくるだろうから、静観していれば良い。
結論。
「まだ(着工)できていない新幹線は全部不要」

ってコメントした人が袋叩きに遭っている。私にしたら、一周回って至極真っ当な感覚だと思うのですが、この記事を読んでいる人は、コアな鉄道ファンばかりなのでしょうか。

より精緻な議論は、手前味噌ですが、こちらを見てください。

 

(以上、私のビジネスブログより転載)