山口修司の中辛鉄道コラム”ぶった斬り!!”

新進気鋭の交通評論家が、日常の鉄道ニュースに対し、独自の視点で鋭く切り込みます。

福知山線事故5年―「強制起訴」からは何も生まれない

安全誓い、冥福祈る=遺族「二度と起こさないで」−福知山線事故5年で慰霊式・兵庫 
福知山線脱線事故の遺族が、歴代4人のJR西日本社長の刑事裁判に望むものは、
 
事故の真相究明」(70%)と「JR西の組織的な責任の明確化」(65%)*1
 
だそうだ。しかし、そもそも、どちらも刑事裁判の制度目的ではない。刑事裁判の目的は、国家権力が被告人を犯罪者として懲役刑などの刑事罰を課するかどうかであり、JR西日本という組織を被告にすることはできない(組織にどうやって懲役刑を課するのか?)。事故原因を調査するのは、司法の役割ではなく、航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の役割であり、すでに最終報告書が出ている。井手正敬氏を始めとする歴代社長へのヒアリングが報告書にはないなど、遺族の不満が残っている*2のも残された課題なのだろうが、それなら再調査を求めるのが筋だろう。
 
今回、2度の神戸地検の不起訴処分を覆して、強制起訴した指定弁護士4人は23日の記者会見で、遺族の求める<真相究明>について「私どもの仕事は、被告に刑事責任を負わせるかどうか。全体の真相解明を求められると厳しい」と述べている*3。ノンフィクション作家の柳田邦男氏は「被害者心情(引用者注:歴代トップの経営姿勢と、事故との因果関係が解明されなかった失望と不満)に理解を示し今回の起訴につながった」と述べている*4。柳田氏は「画期的判断」、毎日社説氏は「市民感覚に沿うもの」と評価する*5が、これはそもそも遺族の希望を実現することが目的でないことを(当然)理解していながら、“民意”の後押し*6で起訴議決をしたことになる。私は、指定弁護士の司法(/正義)感覚を疑う。「検察官の処分から離れて「裸のままの民意」によって公訴権を実行させ、刑事裁判にかけるということは、本来の検察審査会制度の目的とするところではない」*7からだ。「今回の起訴で、JR西の企業体質を明らかにし、被害者の声を反映させることができる」(川崎友巳・同志社大法学部教授(経済刑法))*8とは思わない。刑事裁判のポイントは、24日の読売新聞が報道している*9ように、事故の予見性と元社長4人に対する注意義務の有無であるが、これを両方立証できるとは到底考えられないからである。

予見性の存在に疑問

起訴内容要旨*10によれば、元社長4人が
 
1.現場カーブ手前で相当減速しなければならないこと
(2)JR函館線の半径300メートルのカーブで貨物列車が脱線転覆事故(96年12月)
(3)東西線開通に伴うダイヤ改正で快速列車の本数が著しく増加したことを認識していたこと
2.運転士には従来以上に定刻運転の要請が強まり、現場カーブの手前まで制限速度の時速120キロかそれに近い速度で走行する可能性が高まったこと
 
から、脱線事故が予見できたとしている。
「適切に減速せずに」というのは、どの程度の操作ミスを指しているのだろう。事故当時の50キロオーバーなどというのは、「暴走進入」であり、「速度超過」というレベルではない。元国鉄マンである永瀬和彦氏(金沢工大教授)によれば、「単にうっかりミスでブレーキ時期を逸したことが原因で、カーブの制限速度を大幅に超過して脱線した事故例は皆無に近い。…そのような事例のほとんどは未熟な操縦、ブレーキ装置不具合又は飲酒に起因したものである」*11。また、尼崎事故のような電車運転は、貨物列車よりはるかに走行安定性が高く、上記(2)とは異なるタイプの事故である。このような「暴走進入」による電車転覆事故を予見できるだろうか。起訴した立場からすれば、「日勤教育によって、運転士にプレッシャーを与え、それが速度超過につながった」というのだろう。いわゆる日勤教育によって、運転手が暴走運転するケースが複数があったなら、予見できたかもしれない。だがそのような事実はない。鉄道事故調査委員会による最終報告書にも、そのような調査結果はない。
 
加えて、「予見できたかもしれない」では、有罪にはならないのである。近代刑事裁判の大原則として「疑わしきは罰せず」があるが、「予見できたかもしれない」とは「必ずしも予見できたとは言えない」であり、「急カーブへの付け替え&運転本数の増加→定刻運転の要請が増大→大幅な速度超過によるカーブ区間への侵入→転覆事故」という一連の推論が明らかにできる状況であったことを立証できなければ、有罪にはできない。明らかに推論できるということは、社長であった被告人4人はそのような推論を思いつかなかったほど経営管理力に劣っていたか、または『本当は認識していたが、「認識していなかった」と嘘をついている』という事実認定をするか、ということになる。指定弁護士主任の伊東武是弁護士は「(3被告の)供述より客観的な証拠の積み重ねが重要」「(3被告の聴取なしで)起訴内容は十分に立証できると確信している」と23日の会見で述べている*12が、この確信はどこから来るのだろう。

〈注意義務〉なぞ、存在したのか

注意義務といっても、運転者の"注意義務"ではない。JR西日本という会社の一資産の状態に対する経営者の"注意義務"である。
 
指定弁護士は「ATSは、JR西では危険性の高いカーブに整備されると認識されており、3人は鉄道本部長に設置を指示する注意義務を怠った」と主張する。だが、JR西関係者は「法令上の設置義務はなかった。当時は路線単位で整備するのが常識で、(特定のカーブなど)ピンポイントで危険を予測し、設置する考えはなかった」とする*13
 
鉄道ウォッチャーとしての完全な私見だが、このことに関しては、JR西側の言い分が正しいと考える(正確に漏れなく全路線区間にわたって「ピンポイントで危険を予測」できるか?)。このような個別の技術的投資判断に関して、巨大企業の経営トップが具体策を指示する「注意義務」があるとは、およそ考えられないが、あったとしてもそれを規定する法律は存在しない。もし六法全書に書いてあるのならば、指定弁護人は公判の中で明らかにしてもらいたい。即ち、「現場カーブへの自動列車停止装置(ATS)の整備を、部下の鉄道本部長に指示する注意義務があった」※*14とは思えない。また、指定弁護人が強調する「歴代社長は安全策の方針を実行すべき最高責任者だった」*15かどうかは、「注意義務」の有無と関連性があるようには思えない(もちろん、最高責任者であれば安全投資に対する最終責任を負うので、その投資判断によるインシデントやアクシデントに対する結果責任は最高責任者に発生するが、それは失敗に対する結果責任であり、刑事責任ではない)。
(※ATSは自動列車停止装置、ATCは自動列車制御装置という、両者の違いを理解されているかも疑わしい。ATSは、起訴状にあるような「減速させる」ための装置では元来なく、列車を止めるための追突防止装置なのである)

結果責任の取り方と再発防止について

産経新聞の社説子は、「JR史上最悪の事故は、(中略)さらに営利優先の過密ダイヤが重なって起きた。安全第一であるべき鉄道会社において、それを二の次にしていた企業体質がもたらしたといっていい。」*16と勝手に断定している※が、JR西日本にとって厳しい内容となった最終事故報告書でさえ、「インシデント等を発生させた運転士にペナルティであると受け取られることのある日勤教育又は懲戒処分等を行い、その報告を怠り又は虚偽報告を行った運転士にはより厳しい等を行うという同社の運転士管理方法が(速度超過の原因として)考えられる。」*17という” 指摘”にとどめている。なぜ「考えられる」のかということに関しては、一切触れていない。ましてや、事故原因としての断定は、一切していない。
(※「過密ダイヤ」という記述は誤りであるという議論は、これまで散々指摘されている周知の事項であるから、深入りしない)
 
冒頭で触れた柳田氏は、
 
「いまこそJR西側も、井手氏が経営の実権を握っていた13年間に、どれだけ組織を委縮させ安全対策にどのようなマイナスの影響を及ぼしたのかなどについて、被害者が納得できる形で明らかにするべきだ」
 
*18と述べている。ここで“被害者が納得できる形で明らかにする”とは、「利益優先のために安全対策を意識的に後回しにした」という言質を、殆ど黒幕扱いしている井手氏から引き出すことなのだろう。〈真実〉の内容が既に予定されているような”検証”は、「事実の究明」とは言わない。法廷の場に引っ張り出せば口を割るだろうという感覚なのだろうが、仮に口をつぐんでいることがあったとしても、刑事被告人には黙秘権がある。前述*7の川崎友巳・同志社大教授が言う「企業体質」というのも、利益偏重の経営トップの姿勢を表すのだろうが、「利益優先のために安全対策を意識的に後回しにした」という〈事実〉を、井手氏を始めとする元社長から引き出したいのなら、事実認定を求める民事裁判を起こせばよいのではないだろうか。“強制起訴”による刑事裁判では、「予見できたはず」「予見できませんでした」/「認識していただろう」「認識していませんでした」という言葉の応酬に終わってしまう。
 
一方で、経営責任は結果責任である。予見性があろうとなかろうと、歴代トップの経営姿勢と事故との因果関係があろうとなかろうと、107人の死亡事故に対する結果責任が極めて重大であることに変わりはない。いわゆる“日勤教育”やミスを報告しにくい雰囲気*19が、事故の“背景”と“考えられる”のだから、これを改善し、良好なコミュニケーション環境を構築することなども、広義の”再発防止”であり、結果責任を取ることの中に含まれるだろう。しかしこれは、リヴァイアサンたる国家権力が登場する刑事裁判の範疇では、基本的にない。強制起訴という<異例の事態>から、元社長4人が「利益優先のために安全対策を意識的に後回しにしたことが事故原因でした」と公判で謝罪するシーンを期待しているのが<市民感覚>ならば、江戸時代の大岡越前裁きレベルの、前近代的な極めて稚拙な発想*20である。

*1:産経新聞 4月22日「遺族アンケート刑事裁判、処罰よりも真相を」

*2:4月24日付朝日新聞に掲載された柳田邦男氏のインタビュー

*3:産経新聞 4月23日「【JR西強制起訴】「『ひそかな自信』にとどめて…」指定弁護士、弱気も」

*4:4月24日付朝日新聞に掲載されたインタビュー

*5:毎日新聞社説 3月29日分「JR歴代社長起訴 企業体質が裁かれる」

*6:産経新聞 4月23日「【JR西強制起訴】苦心の起訴も、終着点は『はるか遠く』」

*7:「検察審査会の本来の目的とは」郷原信郎,日経ビジネス5月10日 ※リンク先の閲覧は、日経ビジネスオンラインへの会員登録が必要です。

*8:読売新聞 4月24日「予見性、注意義務 争点に…JR西・歴代3社長裁判」

*9:ibid.

*10:起訴内容要旨

*11:永瀬和彦「福知山線事故報告書の問題点−意図的な調査と調査委員会設置法の主旨に悖る判断とを含むレポート−」

*12:毎日新聞 4月24日「福知山線脱線指定弁護士が会見 JR西歴代3社長起訴で」

*13:読売新聞 4月24日「予見性、注意義務 争点に…JR西・歴代3社長裁判」

*14:産経新聞 4月24日「JR西歴代3社長を強制起訴 福知山線脱線事故 業過致死傷罪で」

*15:神戸新聞社説 4月24日分「JR3社長起訴/真相の究明に英知を絞れ」

*16:産経新聞社説 4月24日分「福知山線事故5年 「考動」する社風の確立を」

*17:鉄道事故調査報告書「西日本旅客鉄道株式会社福知山線塚口駅〜尼崎駅間列車脱線事故」

*18:2.に同じ。

*19:読売新聞 4月24日「【労働環境】「ミス報告しにくい」3割...JR西日本労組アンケート 04/24」

*20:2008年11月13日の幣ブログ「尼崎事故―たぶん、起訴にはならない」