山口修司の中辛鉄道コラム”ぶった斬り!!”

新進気鋭の交通評論家が、日常の鉄道ニュースに対し、独自の視点で鋭く切り込みます。

東北新幹線全線開業―本当にこの”形”で良かったのか?

(本文は、約18000字です)

未だに消えない“地域振興・経済活性化の起爆剤”信仰

「新幹線が地域活性化起爆剤になるという≪新幹線神話≫は、すでに過去のものなのである」澤喜司郎(山口大学*1

「今必要なことは、交通における目的と手段の関係について正しい認識をもつこと、すなわち手段を目的視してはいけないという認識をもつことである」角本良平(国鉄OB,交通評論家)*2

これらの指摘は1990年代中盤に出たものである。一方、昨日の交通新聞の記事にはこうある。

東北新幹線新青森開業は)首都圏〜北東北エリアの高速交通体系の充実化に伴う地域振興・経済活性化に向けた1つの起爆剤として注目を集める。

15年間、全くの思考停止状態だったことが読み取れる。

言うまでもなく、外部経済(効果)には、プラスマイナス両面のものが存在する*3
外部不経済の代表は、いわゆるストロー効果である。「悲願だった」という割には、東北では直近の八戸駅延伸開業ですら、実際にどのように地域振興政策と連携するかは定まらないまま、30年間以上プロジェクトの見直しもしないまま、結局見切り発車を迎えた*4リーマンショックや地方経済の疲弊は言い訳にもならない。万歳三唱で一番列車を見送るというのは、未だ新幹線を記号*5でしか捉えられていない思考状況を暗示している。新函館駅までの北海道新幹線も既に着工しているが、青函トンネル内での新幹線電車と貨物列車の行き違い時の安全性という基本的な技術問題すら未だに放置したままの着工である。東奥日報の今朝の社説が、見切り発車ぶりを物語る(太字は引用者)。

新幹線全線開業により……県内を訪れるさまざまな人々に心を尽くし、あたたかく迎えたい。そしてその積み重ねによって、本県の社会・経済の水準が高まっていくことを望む。
……県内各地と首都圏との距離・時間差は人々にとり便益を失うこと。これを縮める巨大な交通インフラ・東北新幹線という光彩が、県民の暮らしに質的な進歩をもたらすものと信じたい*6

「『整備新幹線は採算性に問題』は根拠不明の単なる決まり文句*7ではない

並行在来線の問題は、絶対に解決しない。在来線単体で黒字にできるなら、そもそもJRからの経営分離の対象にならないからだ。どうやっても黒字が見込めないから経営分離するのであり、赤字は宿命である。現在でも収支採算が取れているか怪しい状況で、総供給量を増やしたら赤字が増えるのは、自明である。「もう少し工夫し、第三セクターのかかっている経費、利用者数、その他の新幹線によってもたらされる収益などをうまく分け合えば(問題は解決する)」*8というのは楽観的すぎる。小手先の対応では、どうしようもない。

上の”並行在来線解決案”は、元国鉄キャリアの野沢太三自民党参議院議員によるものだが、同氏が主張する*9ように、「新幹線は造れば造るほど赤字がまた増える」は、確かに誤りだ。建設費は全額税金であり、JRは利潤を上げた場合に納税をすれば良い。旧国鉄のように、赤字の投資や路線運営を強いられることはない。しかし、プロジェクト全体で黒字であるかのようなニュアンスは正しくない。並行在来線の新規赤字コストをカウントしていないドンブリ勘定だからだ。このような試算に、例えば、京大土木系の中川大教授*10らによる「整備新幹線評価論 ◆先入観にとらわれず科学的に検証しよう」がある。著者らは「これからの時代に向けての社会資本整備は、真に優れた事業が厳選されて進められるべきであり、そのためにはすべての事業が公平に評価されなければなりません。整備新幹線も、先入観にとらわれることなく、新たな時代においての必要性を科学的に評価することから議論を始めるべき」と謳い、「整備新幹線は採算性に問題』は根拠不明の単なる決まり文句なのでは?」と述べているが、これは明らかに誤りである。道路公団民営化議論の際も「建設推進派」扱いされた学識経験者が同趣旨のことを述べていたが、インフラ整備の際に使われる採算性とは、収支採算性のことではなく、投資採算性のことである*11。もちろん、並行在来線問題という収支採算性も考えないといけない。この外部不経済まで考慮に入れた投資採算性の議論は、聞いたことがない。仮に、トータルで黒字であったとしても、外部不経済の効果を重く見るなら、そのプロジェクトは実施しない、という判断もありうる。

「うなぎを注文したのに、穴子やどじょうが出てきた」

今更言っても始まらないのだが、今回の開業区間は”フル規格”で作るべきではなかった。
今日では、整備新幹線の建設は既存の新幹線と同じ規格だと考えられているが、国鉄分割民営化直後の一時期は、建設費の圧縮のために“ミニ新幹線方式”や“スーパー特急方式”が検討された。結局、「ミニ新幹線では時間短縮効果が乏しく、航空機に勝てない」と、全ての計画路線がフル規格になったが、東京と終点の輸送だけを比較しているから、このような議論になる。東名阪のように両端間の移動に需要が集中しているなら意味のある議論だが、東京―北東北、東京―信州といった地域では、遠隔地で分散的に客を拾うというのが輸送実態であり、フル規格の特性は十分に発揮できない。実際、長野新幹線では、フル規格の特性が発揮されるノンストップ便は現在に至るまで一日一便のみである。むしろ、停車パターンを柔軟に設定できる在来線流用方式(ミニ新幹線)の方が適している。始発終電は普通種別で運行、といったことも可能になる*12。フル規格では、新幹線の駅が設置されない特急停車駅が、全て切り捨てられてしまう。長野新幹線の場合は中軽井沢小諸戸倉篠ノ井などの各駅、今回の開業では三沢野辺地浅虫温泉などの各駅が該当する。「ブログ市長」で話題の阿久根市政の混乱も、かつて特急停車駅だったのがフル規格建設で切り捨てられ、ローカル線の駅に転落したことに一因がある*13。また、青森駅ではなく「新青森」駅なのは北海道新幹線の延伸のための立地であり、同駅は青森市街地から4キロも離れたところにある。ミニ新幹線方式なら乗り換えなしでダイレクトに青森駅に行ける。ミニ新幹線案に対して「お茶をにごす幼稚な案」と自民党運輸族議員は"断固拒否"していた*14が、幼稚なのは「鰻か穴子か」という記号上の思考に留まっていた運輸族の方だった。マクロな整備計画に対し、このようなミクロの発想をしていたのは、鉄道アナリストの川島令三氏くらい*15だった。


 “スーパー特急方式”も今は死語と化しているが、これは都市部では在来線を流用し、都市間ではフル規格に準じた設備にするという方式である。これも“穴子””どじょう”だと揶揄されたが、東海道新幹線の建設時には、地価の高い都市部まで新規に線路を敷設するのは賢明でないと海外から批判を受けたのである。東北新幹線は、盛岡―大宮間と都心部(上野―大宮間)の建設費が同規模になってしまった。在来線も標準軌のフランスでは、新規路線建設は都市間に限られる。が、「福井・石川は原発で苦労をかけているから」という森首相(当時)による見返り対価でフル規格になった*16。全く筋違いの政策判断であり、インフラ整備プロジェクトとしての妥当性を検証した結果ではなかった。加えて、対北陸輸送は、ほくほく線による越後湯沢周りというルートを別に作ってしまっていた。鉄道専門誌の中でも最も楽天的な「鉄道ファン」誌*17ですら、ほくほく特急は消滅するだろうと予測している(前出の川島はこれを“2014年問題”と呼んでいる*18。)。高速輸送のための準新幹線と言える高規格設備は、ローカル輸送には全く不要で、大きな経営の足かせになる。勿論、森元首相を始め、意思決定をしたものは誰も責任を取らない。対北陸輸送は、ほくほく線を活用したスーパー特急形式にし、信州方面は長野までのミニ新幹線形式にすべきだった。そうすれば、並行在来線の問題も、2014年問題も発生しえなかった。いずれも、需要状況・輸送実態に応じて、建設規格を選択するべきだった。

<国土の均衡ある発展>は、理論的にありえない。

整備新幹線の実現は、「整備新幹線は国家プロジェクトです。ご理解いただきたい」という"鶴の一声"ならぬ、亀井静香建設相(当時)の"亀の一声"で決まった*19。亀井公の発想は「大都市の東京と大阪だけ、交通システムが便利なのはおかしい」「北海道から九州まで新幹線をつくれば、東京一極集中を是正できる」という観念的にすぎるレベルだった*20。本稿冒頭の角本博士の言葉を、想起されたい。都市部ですら、都心部から30分前後で駅から徒歩通勤できる近郊部と、概ね1時間以上の通勤を要し、クルマなしには生活できない郊外部の”格差” が存在する。利便性と快適性のトレードオフはどこでも存在する。各人が自分の価値観の中で折り合うところを選択している。「日本中どこでも格差をなくし、住み心地が変わらないようにする」なんていう目標*21は、全くの机上の空論である。全国ほぼくまなく同じテレビ番組が見れて、郵便・宅配便が送れて、スーパー・コンビニで都市部とほぼ遜色なく自由にモノが買えるというのは、大都市経済の恩恵である。地方経済単独で、先進国レベルの生活水準はありえない。
逆に、山手線の輸送電力が信濃川上流の発電から賄われていることに代表されるように、地方の負担なしに大都市部の経済は成り立たない。お互い持ちつ持たれつであり、「均衡ある発展」論はこの構造を無視している。新幹線は、憲法第25条が保障するところの、健康で文化的な最低限度の生活に必要不可欠なインフラとは考えられない。そう主張する人はその論拠と論理を具体的に示す必要がある。

どうする北海道新幹線?“超・新幹線”で一発逆転を図れるか?

「フル規格でないと、航空機に勝てない」という上述のフル規格論は、鉄道が分担できる範囲はそのあたりが限界であることを意味する。それより遠方では、航空機の分担範囲である。東京―福岡間の輸送の9割が空路である*22ことがこれを示す。北方方面では、青函が分水嶺になる。新青森駅と同様、新函館駅函館駅から18キロも離れ、駒ヶ岳山麓との中間地点に予定されている。事実上、札幌までの全通を前提とした立地である。戦艦大和・伊勢湾干拓と並び「昭和の三馬鹿」と当時の大蔵省主計官に酷評された青函トンネルも、本来の主目的は新幹線である。札幌駅の北側には新幹線ホーム用の用地が確保されている。八戸以北のフル規格という投資が見合うためには、札幌まで作るしかない。しかも、大幅なスピードアップが条件である。前出の川島は、時速350キロ運転をすれば、東京―札幌間は3時間25分で結べるという試算をし*23、「整備新幹線不要論は誤り」と主張する*24東北新幹線「なすの」が時速240キロ、山陽新幹線の「のぞみ」が時速300キロだから、これは今までの新幹線のイメージを大きく越える*25。スピードを出すこと自体は難しくない。実用化できる技術的な実現可能性は五分五分といったところだろう。過去の投資金額の大小を斟酌して未来の投資行動を決めるのは非合理な決定行動(”コンコルドの誤謬”)であり、MBAの科目試験なら零点の解答だが、ここは必ずしもそうではない。青森―東京の既存資産価値が、変化するからだ。貨物対策には、まさかもう一本青函トンネルを掘るわけにはいかない。巨額*26を投じて、上下線の間に壁を作るしかないだろう。 

 仮に3時間運転が実現できても、従来のような新幹線の価格設定では、到底航空機にかなわない。北海道新幹線だけで収支を取る独立採算制の新会社を立ち上げるなら別だが、内部補填の材料を手放せばJRの経営は破綻する。それが可能なら、東海道新幹線はもっと安くできる*27。それこそ、日本経済活性化の起爆剤になる。これができるには、赤字路線を遠慮なく経営分離できることが必要で、赤字部門を企業内部で補填するのは、鉄道の公共性に鑑みて好ましくない。対北海道輸送は、羽田空港において、ぶっちぎり第1位のドル箱路線である*28。この市場が航空機の独占でなくなれば、航空機は減便を迫られ、国際空港になった羽田空港の発着枠に余裕ができ、羽田空港のハブ化に寄与するだろう。ここまで見込んだ政策で初めて実行の価値があるが、間違いなく航空会社は反対する。高速道路無料化の政策と同様、市場の公平性に悖るからだ。「(最近でも6000億円ある北海道の公共事業枠のうち)その十分の一くらいのをちょっと回してもらえれば北海道新幹線はすぐに実現できる」*29というのは共感はできるが、関係者を説得する言葉を政治の側は持つだろうか。

地方が自律的に政策判断する仕組みの構築を

本来、財政の順番としては、国鉄債務の返済が先である。これが、既存の東北・上越新幹線の建設費を含むからだ。*30,*31

建設を”陳情”するだけで自分の懐が痛まないから、分不相応にも”うなぎ”を注文する。交通機関を新たに作ったら便利になるのは、当たり前である。たとえ空気輸送になっても、そのわすかな利用者にとっては便利になる。これが、限りある自分の財布からなら、食事はあきらめて他のことに使う、という選択の思考が出てくる。勿論、他のことを我慢して食費に費やしてもよい。全ては自己責任であるべきで、コミュニティのデザインにおける交通のウェイトやその内訳(新幹線か道路か空港か)は地方ごとに違って当然である。
現在のように、各プロジェクトの責任主体が複数の都道府県に分散していると、新幹線建設を推進する(断念しない)という路線のみが既定路線になってしまい、負の解決責任をお互いになすりつけ合うことになる*32道州制は一つの答えになるだろう*33地域主権という言葉は、保守層には国家主権の解体だとみなされ評判が悪い*34が、従来の地方分権では不十分という発想に基づく言い回しである。
前出の角本博士は、10年前にこう述べている。

整備新幹線はおそらくまず盛岡以北に開通し、その利用度と費用とが実証される。
……国・地方の債務累積が深刻であれば、新規着工は進まない。*35

本日の東北新幹線全通と、来年3月の九州新幹線全通で、整備新幹線建設は一区切りを迎える。三菱総研の平岩和昭研究員は「新幹線は地域振興の必要条件ではあるが、十分条件にはなり得ない。」*36というが、本当に必要条件なのか?二言目には、新幹線はインフラとして必要不可欠だと言われるが、本当にそうなのか?前出の野沢氏は「新幹線は採算が取れ、JRにも、乗客にも、地方にもありがたいシステムで、……公共事業として大切にしなければならない」という*37が、話を単純化しすぎなのは、以上見てきた通りである。経済対策としてではなく、純粋な公共交通整備事業としての効果検証が、これから求められる。 了

*1:「整備新幹線―政治新幹線を発車させた男たち」澤喜司郎,近代文芸社,1995.

*2:「交通の改革 政治の改革―閉塞を打破しよう」角本良平,流通経済大学出版会,1997

*3:地元ですら、懐疑的な見方がある。例えば、東奥日報の特集「第4部 盛り上がり(2)青森市民の声/「開業効果低い」と閉店/周辺整備遅れ期待感薄く」などを参照。

*4:「地域振興と整備新幹線―『はやて』の軌跡と課題」櫛引素夫,弘前大学出版会,2007.

*5:

*6:「実現した県民40年の悲願/東北新幹線全線開業」東奥日報12月4日(土)社説

*7:「整備新幹線評価論 ◆先入観にとらわれず科学的に検証しよう」中川大,波床正敏,2000.

*8:「新幹線の軌跡と展望―国会で活路を拓く」野沢太三,創英社三省堂書店 ,2010/07.

*9:野沢前掲書.

*10:執筆当時は、助教授。

*11:並行在来線は経営分離して構わないというスキームにすることで、JRに収支採算性を保障し、結果、整備事業にJRが“乗る”形になった。これが投資採算性を覆い隠すためのマジックになってしまっている。

*12:「日本「鉄道」改造論―魅力ある交通機関の条件」川島令三,中央書院,1992.

*13:竹原信一「ブログ市長の革命」より。もっとも、九州新幹線のこの区間に関しては、在来線は線形が悪く、フル規格による大幅なスピードアップに大きな意義があった。あくまで、一般論と理解されたい。

*14:澤前掲書,1995.

*15:川島前掲書,1992.

*16:朝日新聞2000年12月22日

*17:日本の代表的な鉄道情報誌は、"鉄道ピクトリアル"、"鉄道ファン"、"鉄道ジャーナル"の三誌である。

*18:「超・新幹線が日本を変える」ベストセラーズ,2008.

*19:平成6年12月14日の政府与党間合意(「永田町ビッグバンの仕掛人 亀井静香」大下英治,小学館文庫,1999.

*20:大下上掲書.

*21:野沢前掲書.

*22:国土交通省航空運輸統計速報(平成21年度)

*23:「新幹線はもっと速くできる」川島令三,中央書院,1999.

*24:「鉄道再生論―新たな可能性を拓く発想」川島令三,中央書院,2002.

*25:前出の川島は前掲書,2008のなかで、このような新幹線列車を“超・新幹線”と呼称している。

*26:障壁の設置には1600億円とされる。

*27:さらに次のことも知っておきたい。「収益調整の結果、東海道新幹線の乗客は本来の経費に加え、少なく見積もっても20%以上高い政策的経費負担を付加される形になっている。一言でいえば……本来あるべき運賃よりも20%割高な運賃を払っているのである。」(葛西敬之JR東海現会長著「未完の国鉄改革」より)

*28:国土交通省,上述統計

*29:野沢前掲書.

*30:「政府の失敗」の社会学―整備新幹線建設と旧国鉄長期債務問題の編著者である船橋晴俊法政大教授は、整備新幹線の財源を、国鉄債務相当の国債返済に充てるべきだとしている。

*31:年間の欠損は80年度に1兆0084億円に達し、75年度に対し937億円の増加となった。この前後の工事経費は毎年1兆円を越えており、東北新幹線がその4〜5割を占めた。毎年1兆円の欠損を出す企業が1兆円の投資をしていた(「新幹線軌跡と展望―政策・経済性から検証」(角本良平,交通新聞社,1999)より)。

*32:船橋ほか前掲書では“「断片的決定・帰結転嫁・無責任型」のシステム・主体・アリーナ型連動”と表現している。

*33:「鉄道総研の研究者が描く2030年の鉄道」(鉄道総研,2009)でも、この発想は触れられている。

*34:名古屋「正論」懇話会第7回講演会で八木秀次氏は「(民主党が掲げる「地域主権」は)地方分権とは似て非なるもので、300程度の基礎自治体があれば国はいらなくなるという、国の解体につながる考えだ」と述べている。出所は、産経の記事

*35:「鉄道経営の21世紀戦略」第2部”鉄道に可能な道”第6章”21世紀の鉄道” 角本良平交通新聞社,2000.

*36:「新幹線と地域振興」平岩和昭,交通新聞社,2002.

*37:野沢,前掲書.