山口修司の中辛鉄道コラム”ぶった斬り!!”

新進気鋭の交通評論家が、日常の鉄道ニュースに対し、独自の視点で鋭く切り込みます。

ベビーカー引きずり事故、焦点はこれだ。

一昨日起きた、東京メトロ半蔵門線のベビーカー引きずり事故について、昨日の朝日と今日の産経に詳しい記事が出ています。一歩間違えれば、大惨事になっていたので、この事故の原因は徹底究明されるべきですが、私は、ドアの異物検知度を上げるべきという意見には賛同しかねます。検知度を上げれば、今回のようなケースは防げますが、本来であれば、ドアの再開閉の必要がない時にもセンサーが反応してしまい、定時運行の妨げになります。

「何よりも、安全を優先してほしい」とは、よくあるナイーブな言説ですが、定時運行は、事故防止のための基本です。特に、日本の鉄道のように、大量高速輸送する路線では、定時運行することが、トラブルを起こすリスクを低減するのに有効な基本的手立てなのです。

 

さて、この事故で一番問題なのは、車掌が「非常ブレーキを使うのをためらった」と述べていることです。誤解して戴きたくないのは、この車掌を人格点検するようなことを主張しているのではないことです。何が原因で、そのような判断(「ためらう」)に至ったのか、車掌にできるだけ正確・詳細に話してもらう必要があります。東京メトロは、事故後「厳正に処分する」とコメントしていますが、もっとも優先されることは、事故原因の解明であり、処分を恐れて、車掌が本当のことを話さなくなるようなことは、避けなければなりません。アメリカなどでは、重大事故の当事者に対し、供述と引き換えに刑事免責する仕組みがあります。正直に全てを話してもらい、事故原因を解明するためです。2005年の福知山線脱線事故で明るみになった、いわゆる〈日勤教育〉が頭をよぎったのは、私だけでしょうか。非常ブレーキを躊躇なくかけられるように、対策を講じてほしいと思います。 

北海道新幹線の確実な赤字とJR北海道の解体可能性

東洋経済オンラインが、鉄道専門誌である「鉄道ジャーナル」と連携し始めて久しいですが、今月19日発売の鉄道ジャーナル国鉄改革 まもなく30年」なる特集記事の抜粋版(”「並行在来線」が将来直面する深刻な問題ー人材と財源不足で"第2の国鉄改革"必要か”)が、昨日のことで恐縮ですが、アップされました。国鉄改革について議論すると、分厚い書籍が何冊もできてしまうので、(例えば、「未完の国鉄改革」「なせばなる民営化」「国鉄改革」(下写真参考)など)稿末から引用しましょう。

新幹線網が今後も拡充して並行在来線がますます増え、その維持が政策への依存度を強めるほど、国の支出は増す。あたかも新たな国有鉄道が誕生するようなものである。それが負担で耐えられなくなったとき、地方のローカル線から整理されていくという第二の国鉄改革というべきシナリオが再現され始めている。

本当に望まれる鉄道や交通システムはそのような姿なのか、持続可能な形にするには何を取捨選択するか、これから否が応でも議論せざるをえない。作った分の負担は増える――。その自明の理を改めて問う必要性が、整備新幹線並行在来線によって露呈してきたと考えられる。

はっきり申し上げると、そんなことは20年前から分かっていたことで、(例えば、先日鬼籍に入られた、交通評論家の角本良平氏は、90年代からこの議論をしており、『JRは2020年に存在するか』(2001年出版)という著作まであります)もともと赤字でしかも単線の路線に、余計に手のかかる複線(新幹線)を追加したら、全体として赤字が膨らむのは、中学生でもわかることです。昨年開業した北陸新幹線が好調なため、目が霞みがちですが、並行在来線の負担は基本的に税金です。これを運賃上乗せで対処したとしても、問題の根本は解決しません。負担者が納税者か利用者かの違いでしかないからです。今週土曜日に開通予定の北海道新幹線は、新幹線ですら赤字と見込まれています。(「北海道新幹線の平均乗車率はたったの25%!?」という記事が今日リリースされています)なぜ、課題山積のJR北海道が、赤字確実の新たな投資に乗ったかといえば、”並行在来線の経営分離”というマジックで、営業赤字幅が圧縮できるからにすぎません。既に遅すぎる感はありますが、”作った分の負担は増える――。その自明の理を改めて問う”ということを、国民的議論の俎上に乗せましょう。国鉄だけではなく、日本の鉄道全体が破綻する前に。

JR北海道解体論序説

今日の日経の地域総合面は、JR北海道についての記事でした。

悲願の新幹線秒読み JR北海道、苦しむ在来線
老朽化深刻、減便・廃線へ

専門家に聞く、事業の選択と集中が不可欠

結論から申しますと、JR北海道は、列車の運行に専念する運営会社とし、線路の整備などのハード面は経営分離した上で、地元自治体の北海道が直接経営するべきです。新幹線ですら赤字なのです。これは札幌に延伸しても同じです(「なんとかなる」というのは幻想です)。JR北海道の中で黒字なのは、道都札幌周辺を走る千歳線だけで、あとは全部赤字です。鉄道事業として成り立つ地域ではありません。鉄道は本来、大量輸送に適したモジュールだからです。まさに、「集中と選択」で、はっきり言うと、特急の走らない路線は、すべてバスに転換すべきです。

では、なぜJR北海道を作ったかと云えば、超赤字の国鉄改革をするには分割民営化しか手がなかったからです。(これについては、『未完の国鉄改革』『国鉄改革の真実』(いずれも葛西敬之JR東海代表取締役著)などを参照)民営化直後は、分割民営化した7社のうち、JR東日本だけでも黒字になれば、と思われていたのです。つまり、現在のスキームは永続的なものではなく、将来の見直しは想定の範囲内でした。紙幅の都合もあるので、より詳細な議論は、私の2年前の記事をお読みいただければと思います。東洋経済オンラインに転載されている、鉄道ジャーナルの記事も参考になります。

長崎新幹線、そこまでして造りたいか!?

九州新幹線長崎ルート長崎新幹線)は、トラブル続きのフリーゲージトレイン(FGT)計画を先送りし、新幹線と在来線を乗り継ぐ「リレー方式」で予定通り2022年度までに開業させる方向になった。

とは、今朝の朝日新聞デジタル

長崎新幹線、22年度開業堅持へ 途中乗り換え方式か

とも

現行の在来線特急からの時短効果はわずか10分程度というから、嗤うしかありません。そんな短時間は、ダイヤの組みようで、如何様にも相殺されてしまうからです。10分程度の時間短縮のために、1000億円単位の投資をするなど、馬鹿げています。

FGTをあきらめたくない国、早期開業にこだわる長崎県、負担増を警戒する佐賀県

3者の利害が絡み合った末の苦肉の策

といいます。はっきり申し上げますが、FGTは、そんな簡単に実用化はできません。10年単位の月日が必要です。何しろ、車両運行の要である車軸にイノベーションの手を入れようというのです。そのような破壊的な技術を安全に実用化するのに、たった数年の開発延長で済むはずがありません。

また、「長崎新幹線は「全線フル規格」で進めるべき」との梅原淳氏(鉄道ジャーナリスト)の意見には、賛同できません。長崎本線の特急は、途中多くの駅に停車します。ノンストップで時短効果の威力を発揮するフル企画の新幹線は、長崎本線には向かないのです。ましてや、途中に在来線を挟んでの整備となると、ますます新幹線の整備に疑問符がつきます。整備新幹線は、在来線の経営分離や、沿線都市間の格差拡大など、マイナスの面もあります。とにかく開業時期を死守する姿勢は、目が眩んでいるとしか言いようがありません。

北陸新幹線延伸は、湖西ルート以外、”ありえない”

今日の日経朝刊は、経済面トップが整備新幹線の記事です。
北陸新幹線延伸 5案乱立 JR西、小浜・京都ルート提示 利害巡り綱引き必至

鉄道ネタが日経紙面のトップになるのはかなり珍しいことなので、できるだけ簡潔に解説します。相変わらず、「新幹線は地域振興の起爆剤」と思われているようで、とても嘆かわしいです。新幹線は、高速鉄道計画ですから、速達性が何よりも重要です。

他のこと(経済効果、〈地方創生〉)などは、二の次三の次。米原ルートと湖西ルート以外は、この大原則に従えば、即座に破棄されるべきことは、小学生でもわかります。小浜経由ルートがなぜ最短ルートになるのかは、からくりがあるようです。舞鶴経由ルート(”西田氏案”)に至っては、苦笑するしかありません。何のために新幹線を建設するのか、西田昌司氏は目的を取り違えていると言わざるを得ません。

ちなみに、北陸ー関西間は、新幹線かと錯覚するほどの高速列車(特急「サンダーバード」)が運行されています。途中経由する琵琶湖の西側を走る湖西線は、全線が高架でカーブも少ない優良路線です。これは、湖西線が、新幹線に準ずる機能を発揮できるように建設された路線だからです。北陸ー関西間で高速鉄道を整備するなら、湖西線を活用すべきなのです。

速達性では米原ルートという手もあるのですが、現状の東海道新幹線に、他の路線の便を走らせる輸送容量の余裕は全くありません。したがって、新幹線を作るなら(そもそもこの前提も要検証なのですが)、湖西線を新幹線も走れるようにし、その他の区間を新規路線として建設すべきです。「横風が走行の妨げ」? そんなの、防風壁を設置すれば済む話です。

【ちなみに…】
整備新幹線問題に関して、ご関心のある方は、以下拙稿をお読みください。古い記事ですが、問題の本質は全く変わっていません。

「東北新幹線新青森開業に寄せて」(2010、長文注意)

【2.3追記記事】
北陸新幹線の延伸ルート、「小浜-京都ルートなら湖西線は並行在来線を検討」滋賀県知事

【2.4追記記事】
北陸新幹線、「関空まで」延伸要望 関経連、検討委で

随想〜責任論と技術論-尼崎JR脱線事故10年

あの事故から今日で10年になります。

おそらく、刑事事件としては、最高裁で上告棄却となると思います。私は7年前に不起訴になるだろうと論じました。私の予想が外れ、第二審まで行ったのは、検察審議会が強制起訴したからで、元々の検察判断は不起訴でした。理由は7年前の投稿で詳述したのでそちらもお読み戴ければと思いますが、過失要件を満たさないからです。「誰も責任を問われないのか」という意見がありますが、刑事責任を問われるということは、殺人罪が適応されるということです。例えば、高速バスで事故が起き、死傷者が発生したとして、バス会社の経営陣が業務上過失致死罪を問われるでしょうか。殺人罪無期懲役になるでしょうか。違いますね。バスと鉄道では違う部分もありますが、もし、敢えて、運転士以外の刑事責任を考えるなら、それはJR西日本という法人に対する責任でしょう。輸送サービスを提供したのは、法人であり、個々の経営幹部ではないからです。しかし、法人への刑事責任というのは、法律的にありえません。この事故を機に、“組織罰”を問えないかという議論があるようですが、10年経っても議論の進展が何もなかったことが、法的に難しいことの証左でしょう。JR西日本を弁護しているのではありません。あれほどの甚大な数の犠牲者を出した会社に、経営責任がないはずがありません。経営責任は結果責任です。結果が全てです。原因がどうであれ、新型ATSの整備を後ろ倒ししなければ、事故は防げた可能性が高いという結果が全てです。刑事責任はほぼ確実に問われないことはわかっていたはずですから、民事制度の元で被害者と早期に和解を探る道を模索すべきだったとも考えます。

 

今回の事故の核心は、あまりに不可解な運転士の行動でした。脱線というより転覆といった方が正しいのです。そして、転覆による脱線事故というのは、ほとんど類がないのです。いわゆる日勤教育などのJR西日本の〈体質〉は、運転士の行動に影響を及ぼした”かもしれない”遠因にすぎません。当該運転士が死亡してしまった以上、それ以上の原因・因果関係は知りようがありません。「新型ATSが設置されていれば、防げた可能性が高い」という結果責任は免れないですが、逆に結果論にすぎないとも言えると私は考えます。ATSとは、本来、速度超過による転覆を防ぐものではないからです。一例を挙げると、JR西日本は、東海道山陽本線の新快速を時速120キロから時速130キロに引き上げた際、ブレーキの性能を向上することで安全基準をクリアしました。つまり、地上側の設備ではなく、走行車両の性能で対応しました。ATSとは、自動列車”停止”装置の略で、ATS整備の歴史は、速度超過による転覆事故などではなく、列車追突事故を防ぐためのものなのです。自動列車”制御”装置(ATC)は、日本の鉄道網広しと言えども、限られた路線にしか設置されていません。いろんな性能の車両が走る路線に設置することはできないのです。もっとも、速度照査機能を搭載したATCに近い”新型ATS”もあり、福知山線ではこれの設置計画がありましたが、ピンポイントで列車速度をコントロールするという発想はありませんでした。”転覆”事故防止対策を先送りしていたとは言えないのです。同様に、事故現場のカーブをより急なものにつけかえたことが問題だという主張も誤りです。事故現場のようなカーブは、日本中に文字通り星の数ほど存在するからです。

永瀬和彦氏(国鉄OB鉄道技術コンサルタント)は、

「通い慣れた線路を運転する運転士は大きな制限速度のある位置は知悉しており、目を閉じて運転してもブレーキ時期を逸することは、先ずありえない」と述べていますが、これは間違っていないと思います。私は、20年来小田急線を利用しているのですが、目をつぶっても、大体どこを走っているかは分かるのです。ましてや、専門的な訓練を受けた者なら、多少ぼぉっとしても、すぐにブレーキをかけるはずです。ところが全く不可解なことに、この事故では、運転士がブレーキをかけた形跡がないのです。事故原因を調査した事故調査委員会の最終報告書では、「本件運転士が…注意が運転からそれたことについては…日勤教育又は懲戒処分等を行い、その報告を怠り又は虚偽報告を行った運転士にはより厳しい日勤教育または懲戒処分等を行うという同社の運転士管理手法が関与した可能性が考えられる」としていますが、あくまで”可能性”としてであって、直接の事故原因として断定はしていません。多くのメディアで〈利益偏重・安全軽視の体質〉がバブルのごとく喧伝され批判されましたが、今議論した技術的視点に立てば、事故から学ぶことはあっても、これらの”遠因”でもってJR西日本を必要以上に批判することは、あたらないのではないでしょうか。繰り返しになりますが、JR西日本を弁護しているのではありません。

 

“絶対の安全”は、科学的に存在しません。存在するなら、それは宗教の中です。「安全の取り組みに完成はない」という言い方は、この意味において理解すべきことです。残余リスク、即ち想定外の”摘みきれないリスクの芽”は、システムには必ず存在します。”失敗学”の第一人者である畑村洋太郎氏は『「想定外」を想定せよ!』という、非常に問題のあるタイトルの書籍を出してしまっていますが、そんなことは人間には不可能です。どこかで「ここまでで十分」という範囲を決めてやるしかありません。事故から学ぶという取り組みも、この考え方を踏まえないと、被害者側にとっては終わりのない闘争になってしまいます。安部誠治氏(関西大学)は、「組織の意思疎通を徹底し、万全な安全文化を目指すために、もう一段の取り組みを考えるべきときではないか」などと述べていますが、上記の議論を認識しているとは、到底感じられません。

 

10年経ったというだけでは、何の意義もありません。脱線と一口に言っても、そのメカニズムは個々に違うと言っても言い過ぎではないのです。今回の事故で、脱線事故というカテゴリーがあまり意味を持たないことが露わになったとも言えます。今日明日だけ、断片的な俄情報でもってテレビがちょっと特集を組んだり、新聞社が社説を出したりするのでは、”喉元過ぎれば熱さを忘れる”ではないでしょうか。今日は、犠牲者の方のご冥福と、負傷された方の1日も早い恢復を静かに願う1日にしたいと思います。

JR北海道 ”完全上下分離”で組織再構築を

北海道新聞「JRが今やるべきことは明白だ」

メスを入れるべき組織の病巣がどこにあるか、見当はつくだろう。 安全軽視の背筋が寒くなる実態を許してきたのは本社のずさんな管理体制だ。 安全最優先の組織で人心の荒廃が進んでいると言うしかない。

9月29日付社説より抜粋)

何を根拠に“病巣”の“見当”を、“本社”の、つまり経営者側の“管理体制”の“ずさんさ”につけたのか、”人心の荒廃”とはインタビューでも取ったのか、 “現場の”「人員と資材不足」という”声”だけが根拠だとしたら、それこそ“ずさんな”分析である。「レールのデータ、社内で共有ルールなし」*1 「現場の独自判断で枕木交換していた」*2,*3等、インフラ設備管理の驚愕の実態は、“ずさんな管理体制”ゆえなのか、それとも現場と経営側の力関係が逆転しているゆえ本社が機能不全に陥っているからなのか、その両方なのか。頭から決めつけることは危険である。

「組織、体質の問題で極めて悪質」菅官房長官発言の真意

組織体質/風土・企業体質/風土という言葉は、企業の不祥事を批判する際に頻用されるが、実は学問的な定義はない。つまり、この言葉が発せられた時は、眉に唾を付けた方がいい。タイトルの菅官房長官の発言には、真意があるという。“政府関係者”によれば、「あの菅長官の発言はJR北海道の異常な労使関係を念頭に置いたもの」という。“政府関係者”というのは、マスコミ業界での隠語で、でっちあげの記事ではない証左である*4。菅官房長官が念頭に置いたとされるJR北海道の労使関係は、週刊文春週刊新潮のそれぞれの10月10日号に詳しい。両誌によれば、社員の8割以上が所属する北海道旅客鉄道労働組合(以下、北鉄労)では、「彼ら(注:北鉄労)は組合員に、我々、他組合の人間とは『職場で会ってもあいさつするな、談笑するな』と指導している」*5という。太田昭宏国交相は4日午前の閣議後会見で「鉄道では各現場の確実な意思疎通が重要だが、JR北海道は監査の結果、不十分だと明らかになった」と述べている*6が、このような職場で、“確実な意思疎通”などできるわけがない。言うまでもなく、鉄道は、走行車両・軌道・信号保安システム、それら等を支えるヒト・モノ・カネで構成されるシステムである。システムの要素間での意思疎通に不全が生じれば、システム全体の安全運行は覚束なくなる。

毎日新聞によれば、今年1〜2月、JR北海道は社員に対し「働きがい」についてアンケートした結果、「経営理念への共感」「変革への行動、当事者意識」といった項目が、”他の会社の平均と比べて極端に低かった”*7毎日新聞は「会社が「安全重視」を打ち出しても、現場はしらけている」と批判するが、現場と経営側の力関係が逆転しているとすれば、当然の結果ではないだろうか。このような実態が、経営幹部の首をすげ替えるだけで解決するはずが無い。根本的に企業形態を見直す必要がある。

「「新幹線開通で何とかなる」と道民の多くは信じている」*8

鉄道の路線ごとの収支採算は、どの事業者でも明らかにされていないが、週刊東洋経済の独自試算によれば,千歳線以外は全て赤字である。道民はそれを薄々分かっており、だからこそ北海道新幹線開業での“一発逆転”に望みをつないでいるのではないだろうか。だが、単純に札幌まで新幹線を引くだけでは、状況の打開にはならない(このことについては、別稿の5で詳しく論じたので、そちらをお読み戴きたい)。

JR北海道を含むJR三社が、鉄業事業としてはマイナスの価値しか持たないのは、国鉄分割民営化の初めから分かっていたことであり、「会社の金欠状態」を安部誠治関西大教授*9ハフィントンポストに今更指摘されるまでもない、事情通にとっての常識である。

現場と経営陣とのコミュニケーション不全、即ち、どこにいくら(何を)必要とすべきなのか、明確な情報共有がされていない。このJR北海道の現状を打開するには、上下分離政策を行うべきである(“上下分離”については、稿末で解説する)。また、現場と会社側のコミュニケーション不全・相互不信を鑑みれば、会計上のみの上下分離だけではなく、企業構造を根本から変える、完全上下分離が望ましい。完全上下分離は、分社化された複数のインフラ会社が情報共有できず、安全運行に支障をきたすリスクがある*10が、幸いにしてか、JR北海道は非電化区間が殆どである。行政単位も北海道のみである。理想的には道州制の導入が先立つべきであろうが、インフラ会社は北海道営の単一会社にできる。残りの列車運行のみを現在のJR北海道にする。JR北海道の鉄道事業内容は大きく変わる。否応なく組織の変容が必要になる。

JR北海道の一連の不祥事で、観光や事業への安定継続にまで懸念が出ている*11。決して実体経済が良いとは言えない北海道にとって、観光産業への打撃は避けなければならない。JR北海道は、100%国が株式を保有している。今回の問題は、国が三島問題の答えを出す時だ、という啓示と捉えるべきではないだろうか。

 

***上下分離について***

鉄道の経営形態は、主に3つある。 1) 列車運行とインフラ設備管理を同一の企業が行う形態 日本ではこの形態が殆どであるが、海外ではそのケースはむしろ珍しい。 2) 列車運行とインフラ設備管理を別々の会社が担う “完全上下分離” 鉄道というインフラを、特定の運行会社に限定しないせずに解放する形態である。 3)会計上の上下分離 経営形態は、会計上は列車運行とインフラ設備管理を分離するが、営業活動としては同一の経営体として運営する*12。 それぞれに、メリット・デメリットがある。

*1:10月16日 読売新聞

*2:10月16日 読売新聞

*3:10月15日 朝日新聞

*4:自民国土交通部会では、労組との関連問う声相次いだという。10月09日 産經新聞

*5:週刊新潮 10月10日号

*6:10月04日 産經新聞

*7:10月10日 毎日新聞

*8:鉄道専門誌でのこの投稿は、今回の問題が明るみになる前に寄稿されたものである。

*9:安部氏の研究業績は、こちらから。

*10:イギリスでは、この結果、レール破断事故を起こしてしまったという実例がある。

*11:日本経済新聞9月26日

*12:技術的に容易に想像が付くが、インフラ設備の管理は、それを利用する列車の形態に依存する。例えば、高速鉄道を運行するとなると、レールは重軌条のものが必要となるし、レールの整備もよりシビアなものが求められる。夜間に貨物列車を運行するとなれば、保線作業のスケジュールにも影響する。